お母さんいまどこに・・

今年初めに母親を自死で亡くしました、最後に電話で話したのは娘の私でした。

別れの時

叔母が帰ってきてお棺の前でずっと泣いている、私と同じように泣いて悲しんでくれる人が居る、嬉しかった。


病気のせいでいろんな人に迷惑をかけた、今回のこともそう、誰もが母の死を悲しんでいない、中には安心した人も居る、わかっていた。表向き悲しいふりをしているだけだ、私の気持ちが荒んでいるのか、いやそれが現実。


叔母夫婦を待って次の日


母と最後のお別れをした


花を手向け冷たい頬を手を何度もなでた


閉まったお棺をもう1度開けてくれと泣いた


ずっとこのまま母に触れていたかった


もうこの頬に手に足に触れる事は2度とない


放心状態のまま霊柩車に乗った


まだ母の手を握ってあげることを諦めてなかった


その願いは叶わなかった後悔してもしきれない


あの時皆にどう思われてもそうするべきだった


小さくなった母を抱いて帰った


あと20年生きていてくれたら母は81歳、私が60歳どんなお母さんだったのだろう、2人で温泉とか買い物とか行けたのに…

会いにいく

次の日の午後実家に着いた、母を夕方迎えに行き皆が母の帰りを待ってくれていた。


まず私達が母に会った。


半透明のビニールに覆われ全身ベールをつけているようだった。


どんなお母さんでも受けとめる覚悟をしていた


確認出来たのは鼻と手と足だけ


私と同じ爪、小さい時よく手をつないでくれた優しい手


間違いない、ビニールの上から冷たくなった手を握り頬をなでてあげた


今書いていても思い出して涙があふれる


お棺に着ていた服が一緒に入っていた

私が買ってあげた服、靴

重たかった、苦しかったね、おかえり


お母さんどんなに会いたかったか知れないよ

せっかく会えたのに


心の中でそう語りかけた



その夜2人で久しぶりに夜を過ごした、こんなに長く母と過ごしたのは一緒に暮らして以来、お茶をいれ母の分も用意した、母の好きな和菓子を半分づつ食べた、久しぶりに食べるお菓子、どんな味だったか覚えていない。


外が明るくなり鳥の声が聞こえた、夜明け

今日は県外に住む母の妹が帰ってきてくれる捜索の時も毎日電話をくれ唯一叔母と話すときだけ泣かせてもらった。


また1日


母とお別れの日が近づく


ビニール下の手を握って暖めてあげたかった


母の手の感触を覚えておきたかった

連絡

昨日はたくさん泣いた、母が居なくなってから泣いてばかり顔の表情が変わった気がする。今日も何も出来ないまま1日が過ぎる。


これから伝えることはかなり辛い内容です。



夜10時半、携帯が鳴った弟から

さっき、川で母らしき人を夜釣りをする人が見つけたらしい、俺も今から行くまた連絡する。


胸が苦しかった、きっとお母さん…


1時間後、現場に来たが警察が別人の可能性もあるので見せられないと言ったそう。でも、担当だった刑事さんが無言で弟の肩をたたいた。


とりあえずこれから警察署でDNA鑑定をするから行く、また連絡する。

日付が変わって、やっぱりお母さんだった…司法解剖する、母に会えるのは今日の夕方、もしくは明後日慌てないで帰って来て欲しい、弟が言った。警察署には叔父やいとこも来てくれた、明日から忙しくなる弟に早く休むように言って電話を切った。


私はひどく落ち着いていた、やっぱり母は川で亡くなっていた、今日で15日。


寒かった、苦しかった、寂しかったね、明日会いに行くよ。