お母さんいまどこに・・

今年初めに母親を自死で亡くしました、最後に電話で話したのは娘の私でした。

10年に1度の大雪

任意で捜索をして2日目、母は見つからない。相変わらず弟は堤防の事を否定し近くの山を捜索していた。私は変わらず毎日海まで母を探しに行っていた、夕方になり明日は大雪で捜索は無理かもしれないと告げられた、今日で6日間本当にありがたかった。最後に弟が聞いた今後家族で捜索するならどこが…言いにくそうにその方は答えた、明日辺りなら海が良いかもしれない、弟は黙ってうなずいた。


その時気がついた、皆わかっていたのだと思う、堤防の現場を誰もが捜索して見ていた、皆わかっていて私達に寄り添ってくれていた、弟の気持ちむげにせず山の捜索にも付き合ってくれていた、本当に有難いと心から感謝した。現に1日目より私の弟の気持ちはだいぶ落ち着いたように感じる、母がもう生きていない諦めからか、皆さんのおかげだと思う。


その日で捜索は打ち切り、夕方落胆して堤防にいる私に叔父から連絡があった、明日から海を捜索しよう、知り合いに船をチャーター出来るように話してみた、これから行ってほしい。それから1人いつも探している海近くの事務所に行った、これまでの捜索、母が居なくなった経緯、遺留品も何も手掛かりがないこと。天候次第で明日にも出してくれる事になったが明日は大雪の予報が出ていた、きっと何も出来ない、辛かった。

寂しさ

4日目の夜、預けていた息子を連れて初めて弟宅と同じ庭にある母の家に泊まった、母の匂い、赤いカーディガン、食べかけのパン、炊かれたままのご飯、よく履いていたスリッパ、何を見ても胸が苦しかった、退院してシャワーは浴びたようだが、お風呂に入っていなかったようで浴槽にはクモが死んでいた、シャワーヘッドが壊れていたので交換を弟に頼んでおいたのに交換されてない。お湯の出にくいシャワー寒かったね、悲しい。クーラーもついたり消えたり、とても部屋があたたまらない、布団はあるが毛布がなかった、もしかしたら風邪をひいて熱が出ていたのかも、辛かった。不平不満を言わない人だった。


息子を寝かしてしばらくすると弟がきた、明日からどこを捜索するか決めてきてほしいと言われていた、しばらく黙って弟が言った。

居なくなった日母が弟のところへやってきた病院へ帰りたい、退院して3日目からずっと言っていたらしい、知らなかった。弟は明日連れて行ってやる、迷惑をかけないでくれ。姉ちゃん、俺そう言ったんだ。



弟が泣くのを初めて見た、長男だし男だし泣くのを我慢していたのだと思う、2人で泣いた、あんたのせいじゃない病気のせいだよ仕方ない、お母さんはずっと苦しかった、私達を悲しまないため必死に病気と向き合って生きようとしていた、最後まで私達に迷惑をかけたくない、母親として当たり前の気持ちだったんだよ、お母さんでいたかったんだよ。


あの時私が弟達に母を病院へ連れて行ってほしいと強く言えば良かった、結婚して20年近く年に数回しか帰省出来て居なかった、1人が好きな母のために実家に泊まったのは数回、以前薬を服用しすぎて胃洗浄したので朝昼夜と手渡しで薬を渡していた、晩御飯を時々作ってくれ、そして何よりかわいい孫を3人も見せてくれた、弟夫婦に感謝していた。世の中同じような病を抱える人でも独り暮らしを余儀なくされている人もいる、母はそのてんまだ幸せなほうだったと、たいして面倒もみれなかった私は強く言えない、ごめんね、お母さん。


日付が変わり布団に入った母の匂いがした、小さな家とはいえ静かでなかなか寝付けなかった、時々母が自分の隣にもう1組布団をしいて寝ていた、また調子が悪いですましていた。本当は寂しかったんだね、もっと泊まって息子を見せてあげたら良かった、もっと寄り添ってあげるべきだった、本当に本当にごめんなさい。

4日間

相変わらず寝たか寝ないかわからない日々が続いていた、食事は水分と1口だけ皆を心配させないため昼食の時間には戻るようにした。

心配して親戚、遠い親戚、知らない人もたくさん来た、誰にどんな言葉をかけられても心にひびかなくなっていた、気持ちがすさんでいた。この頃になると呪い師、占い師に尋ねてみてはと毎日のように連絡先を持ってくる人がいた、私は全く信用しない性格なので聞き入れなかったが弟はなすすべなくわらにもすがりたい気持ちだったのか、1件1件訪ねていた、その度にあそこに生きていると振り回され、私はそんな事より捜索をちゃんとして欲しかった。1日目から姉弟で喧嘩をする事ばかりが増えた、こんな時にこんな時に。後になり思う、お互い母を思う気持ちが真剣であるゆえの事、仕方なかった。


母が見つからないまま4日間が過ぎた、公務は今日まで明日から任意で実費になる夕方になって決断が迫られた、引き続きあと三日間の捜索をお願いした、連日寒空での捜索、公務といえども皆さんに疲労のいろがみえた、申し訳ないと思う。


夕方になりまた1人堤防に、お母さん今日も会えなかったね。