お母さんいまどこに・・

今年初めに母親を自死で亡くしました、最後に電話で話したのは娘の私でした。

焦る気持ち

案の定、夜から雪は降り出し夜が明ける頃には外が真っ白になっていた、船は出せなかった。それでも何もしないでいられない、雪道に慣れていないがいつものように堤防から海に、この日から海岸や港、橋の上、双眼鏡片手に雪の中を探し続けた、不思議と寒くなかったそんな気持ちをもつ余裕すらなかった気がする。


ここから伝えることはかなり辛い話になります、ご了承ください。


今日で1週間精神的にも肉体的にもきつかった、もう探せる場所が見当たらない。川しかなかった、もし身を投げたのならそろそろ浮かんでくるらしい、時間は残酷だ。しかしこの寒さで予測が出来なかった、すぐ海に流れ着くというひともいれば、沈んでいるというひともいた、どの人が言うこともそう思えた、ただ1度浮き上がるとまたしばらくして沈んでしまうのでそうなるともう見つからない、あまりに残酷な話で言葉を失った。現に見つからないまま葬儀を済ませ、お墓を建てる事は珍しくないらしい、信じたくなかった。


いろんな事が頭をかけめぐる、もしかしたら誰か連れ去ってどこかで生きている、もしかしたら山に置き去りにされた、警察にも聞かれたが母を恨んでいた人は居ますか?1人だけ思い浮かぶ人が居たでも言わなかった。


ここ最近外泊時に母がしてしまった事で弟以外は母のお見舞いに行かなくなった、薬を変更したのが悪かったようだ、2年前に祖父を亡くした、母からすると唯一心から心配して家に訪ねてくれる父親だった。それから1年後母が敗血症という病気で倒れ医者から今飲んでいる薬の副作用と言われた、10年ぶりに母が精神科に入院する事になった、それからだった、弟はその事を母に問いただし責めた事もあった、仕方ないと思った、だけど母をそんなにせめないで欲しい、私が娘だから甘いのだろうか。お見舞いに行かなくなって4ヶ月、最初の2カ月は私が帰省して外出させ家の掃除、母のお風呂、2人で母の好きなたこ焼きを食べた穏やかだった、今考えても本当に穏やかな時間たった5時間の外出、別れ際母は泣いた、私も泣いたまた帰ってくるからねと言うのが精一杯だった。2度目の時は面会に行くと車椅子で面会室にきて私に敬語で話しかける、薬が強すぎるのではないか看護婦さんにたずねる、あんな事があったので前の薬に変えて欲しいと弟が言ったらしい、辛かった。それから2カ月帰省する事が出来なかった、思い切って弟夫婦に外出を頼んでみた、弟はわかったと言ってくれた。迎えに行くと母は泣き崩れたという、もう誰も会いに来てくれないと思っていたらしい。今書いていても泣いてしまう母が不憫だった。それから何度か外出したらしい、でもそのたびに病院へ帰りたいを繰り返していた、きっとまた同じような事をして迷惑をかけるのが怖かった辛かったのだと思う。


明日は船を出してもらえるだろうか、捜索のために作った母の写真を載せたチラシ、私が買ってあげた洋服を着て靴を履いていた、切ない、母が見つからない、何も出来ない、自分が無力だと責めた。