お母さんいまどこに・・

今年初めに母親を自死で亡くしました、最後に電話で話したのは娘の私でした。

10分

母と最後に会話したのは娘の私、たった10分間の会話だった、あれが最後の会話になるならずっと切らないで母とたわいのない会話を続けていたかった、母を大好きだって言ってあげたかった、育児に忙しいであろう私のことを思ってかあまり電話をしなかったのだろう、時々息子の歌を聞かせてほしいと電話してくる時があった、息子のつたないキラキラボシを聞いてたいそう喜んでくれた、結婚して15年目に授かった息子、あの時いつものようにどうして息子と話をさせてあげなかったのだろう…そうしたら母の気持ちが辛さが幾分でもやわらいだかもしれない、後悔しても悔やみきれない。


警察に捜索願いを出すと母はもちろん、自宅も捜索された事件性がないかの確認なのか、母の大事なものをしまう引き出しに私が出したいつかのハガキがしまってあった。なかなか会えない息子の写真をのせたもの、時々引き出しを開けては見てくれていたのか、胸が締めつけられる思いで声を上げて泣いた。


家族も事情聴取される、母の生い立ち、21歳で結婚、酒乱に女癖の悪かった父とは弟を妊娠中に離婚、母の友達と居なくなったからだ、私が18歳の時に亡くなった。家族3人で祖父母とは車で少し離れた所に暮らしていた、母子年金のせいだったのか慰謝料なんてなかった、祖父母は私達姉弟の面倒は見てくれたが母を甘やかしてはいなかったと思う。母子家庭のうちにはイタズラ電話や夜中に玄関を開けようとする人、お風呂を覗き見ようとする人、嫌がらせが耐えなかった。母1人で本当辛かった、強かったと思う。母がとんでもないことをしたのは2回、最初は私が中学生の時強制入院した、2回目は去年の夏、入院していた病院から外泊中、夜中に即入院。よくテレビでニュースが流れる、家族に病の人が居ると他人事のように思えなかった。病気のせいで人に迷惑をかける事もあった、昔は祖父母が謝罪してくれた、でもだんだん年を取る成人した私達の番になってくる。私にも土下座に近い謝罪をした経験がある。近所には何件か家がある、しかし母の病気を知ってか皆疎遠だ、1度近所の川にゴミを捨てて注意された事もあった。最近では母も年をとったせいか自分がしたことを悔やむ傾向があった、私達に迷惑をかけていることを気にしていたのだと思う、迷惑かけても良かったんだよお母さん、それでも元気でさえいてくれたら。


余談になったが警察の人が私に問い掛ける一緒に生活したのは23年、はっきり言わなかったが言いたいことはわかった。結婚して帰省出来たのは年に数回、母に対して愛情はありますか?だから答えました、小さいとき寒い夜になると家族3人体を寄せあって寝ました、母は決まって冷たくなった私達の足を自分の太股であたためてくれ風邪をひかせまいと布団をかけてくれました。


それから私は1人ある場所に行った、母が靴を履いて向かった場所そこは実家の目の前にある堤防、海につながる大きな川が流れている、家から100メートル足の悪かった母でも靴を履けば行けた。階段を降りると土手1メートル下は川が流れていた、あたりを見まわすと1カ所だけ草が川に向かって倒れその下の苔がはがれ落ちていた、母が滑った降りた跡だろう。間違いないと思った、この寒空服を着たまま落ちれば健康な人でも助からない、水を触れば思いとどまっただろうに、1人泣き崩れた。


母が居なくなって1日目母への希望は絶望に変わった。