お母さんいまどこに・・

今年初めに母親を自死で亡くしました、最後に電話で話したのは娘の私でした。

寂しさ

4日目の夜、預けていた息子を連れて初めて弟宅と同じ庭にある母の家に泊まった、母の匂い、赤いカーディガン、食べかけのパン、炊かれたままのご飯、よく履いていたスリッパ、何を見ても胸が苦しかった、退院してシャワーは浴びたようだが、お風呂に入っていなかったようで浴槽にはクモが死んでいた、シャワーヘッドが壊れていたので交換を弟に頼んでおいたのに交換されてない。お湯の出にくいシャワー寒かったね、悲しい。クーラーもついたり消えたり、とても部屋があたたまらない、布団はあるが毛布がなかった、もしかしたら風邪をひいて熱が出ていたのかも、辛かった。不平不満を言わない人だった。


息子を寝かしてしばらくすると弟がきた、明日からどこを捜索するか決めてきてほしいと言われていた、しばらく黙って弟が言った。

居なくなった日母が弟のところへやってきた病院へ帰りたい、退院して3日目からずっと言っていたらしい、知らなかった。弟は明日連れて行ってやる、迷惑をかけないでくれ。姉ちゃん、俺そう言ったんだ。



弟が泣くのを初めて見た、長男だし男だし泣くのを我慢していたのだと思う、2人で泣いた、あんたのせいじゃない病気のせいだよ仕方ない、お母さんはずっと苦しかった、私達を悲しまないため必死に病気と向き合って生きようとしていた、最後まで私達に迷惑をかけたくない、母親として当たり前の気持ちだったんだよ、お母さんでいたかったんだよ。


あの時私が弟達に母を病院へ連れて行ってほしいと強く言えば良かった、結婚して20年近く年に数回しか帰省出来て居なかった、1人が好きな母のために実家に泊まったのは数回、以前薬を服用しすぎて胃洗浄したので朝昼夜と手渡しで薬を渡していた、晩御飯を時々作ってくれ、そして何よりかわいい孫を3人も見せてくれた、弟夫婦に感謝していた。世の中同じような病を抱える人でも独り暮らしを余儀なくされている人もいる、母はそのてんまだ幸せなほうだったと、たいして面倒もみれなかった私は強く言えない、ごめんね、お母さん。


日付が変わり布団に入った母の匂いがした、小さな家とはいえ静かでなかなか寝付けなかった、時々母が自分の隣にもう1組布団をしいて寝ていた、また調子が悪いですましていた。本当は寂しかったんだね、もっと泊まって息子を見せてあげたら良かった、もっと寄り添ってあげるべきだった、本当に本当にごめんなさい。